娘のつぶやき

トップページ

◆「天使の微笑み」

◆「四千字の世界」

◆「トーク・トーク」

◆「犬が欲しい」

◆随筆あれこれ

◆コラムあれこれ

◆木下順一 年譜

◆木下順一の本

◆パステル画

◆思い出のアルバム

◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


母の手術

〈1〉
 私は父の書いたものをほとんど読んだ事がなかった。もともと、本を読むことは好きではない。子どもの頃から家にはたくさんの本があり、なんでもそろっていた。父も母も、机に向かい書き物をし、いつも本を読んでいた。その姿に圧倒され、私はテレビばかりの生活だったように思う。
 父の書いた文章を最後まで読んだのは「 天使の微笑み」が初めてかもしれない。ベッドに横たわる父の傍で刷り上がったばかりの本を読んでいると、母の姿が目の前に広がった。手術の日(平成15年3月)、車椅子で処置室から戻ってきた母の淋しげな顔。細くやせた腕に何本もの点滴の針や鼻から管が通された姿を思い出し、胸がいっぱいになった。母の手術は失敗だったと思う。父と私は、嫌がる母に手術を勧めた事をずっと後悔した。
 手術の前日は私の次男の小学校の卒業式だった。その日の朝、母から息子の大好きなドラえもんのお祝い電報が届いた。苦しい検査が続いていたのに母は孫の卒業式を忘れていなかった。ドラえもんのお祝い電報は高校生になった息子の部屋に今もちゃんと飾ってある。
 次の日、行なわれる手術が成功すると、この時は家族全員が信じていた。

〈2〉
 息子の卒業式を終え、私は函館に行く準備にとりかかった。本当なら卒業のお祝いでご馳走を作るところだがそんな気にはなれなかった。私の留守の間の食事の用意や洗濯機の使い方など、卒業して春休みになる次男に頼み、いろいろ教えなければならなかった。
 長男の時は、父と母が卒業と中学の入学祝いを持って来てくれた。次男の時もその予定だった。まさか、母の手術など思ってもいなかった。35年間、中学の教師をしてきた母は誰よりも次男の中学入学を楽しみにしていた。孫たちと学校の話をするのが好きで、そんな時の母はいきいきとしていた。
 母は父の才能を信じ、家族の生活を支えるため辛くても仕事を続けてきたが、教師という仕事が大好きでいつも子どもたちの事を考え一生懸命だった。娘の私の学校行事より自分の生徒をいつも最優先に考えていた。今では、そんな母を誇りに思っている。
 函館行きの準備をしていると主人が、お母さんの手術が成功して元気になるまでビールは飲まない、と言った。母はビールが好きだった。父は下戸で酒は全く駄目、私も父に似たのか飲めない。母の相手をする人はいなかったが私が結婚してから、札幌に来るたびに夫とビールを飲める事を楽しみにしていた。夫の発言に驚いたが、同時に嬉しかった。この事を早く父と母に伝えたいと思った。次の日、朝7時の列車で函館に向かった。病室に着くと母は手術前の処置のため部屋にはいなかった。父がひとりで待っていた。私は父に前日の主人の話をすると急に父の目が真っ赤になり、車椅子で戻ってきた母に伝えた。すると二人は声を出して泣いた。こんな両親を見たのは初めてだった。私が持っていったお守りを母は胸に抱いて手術室に入っていった。私の手を握り、何度もお父さんを頼む、と言っていた。手術は6時間から7時間かかると言われていた。父と私は手術に母が耐えられるか、体力の事だけを気にしていた。
 母が手術室から戻ってきた。4時間くらいだっただろうか、予定よりもずっと早かった。医者の話を聞いて父も私もがく然とした。母の癌は取り除く事ができなかった。


<続きを読む> <前のコラム>