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娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


三島由紀夫全集

 母の七回忌を無事済ませることが出来た。伯母も90歳とは思えないくらいしっかりしていて、寺での法要の後、墓参りをしたが足取りがしっかりしていた。ただ、耳だけがかなり遠くなったため、どうしてもみんなとの会話の輪になかなか入れず、ちょっとかわいそうだった。夜、父と母が時々足を運んでいたという所で食事の席を用意したが、部屋も個室で落ち着き、何よりもお料理が美味しく、生前母が好んで食べていたものを用意してくれた。母の写真の前に冷たい生ビールのグラスが置かれ、みんなで献杯した。2003年2月、母は父とふたりで食事にきて生ビールと蟹クリームコロッケを頼みおいしそうに食べていたそうだ。その時、「来月、検査のために入院するの」と、ママさんに話をして、検査入院をとても嫌がっていたそうだ。ママさんは「あれが最後だったなんて…」と言い、いろいろな思い出話をしてくれた。二時間半、私としては癒されるいい時間を過ごすことができ、函館で法事をして本当に良かったと思っている。

 函館に行くときはいつも私ひとりなのでJRを使うことが多いが、今回は母の七回忌だったので夫と長男が交替で運転して函館に行った。車だったので父の本をタウン誌「街」の事務所から運ぶことになった。すでに実家だった湯の川のマンションを処分したとき、札幌にかなりの量の蔵書を運んでいた。Sさんから、「お母さんの法事には車でいらっしゃいますか?車なら三島由紀夫全集42冊を札幌に持っていってください」というメールがはいった。私はたぶん読まないだろうと思ったが夫が三島由紀夫の本を読みたい、といっていたことを思い出し札幌の我が家に持ってくる事にした。頭の中では、日焼けし読みふるした古い本を想像していた。父は三島の作品を40歳までに読破し、かなりの三島ファンだった。三島由紀夫が市ヶ谷で割腹自殺したとき、私はたしか小学校六年生だったが父が落胆して帰ってきて自分の書斎から出てこなかったことを覚えていた。まあ、父が好きだった作家の本を形見として奥の部屋にでも置いておこうと思い、墓参りの帰り事務所に寄り、本を見てびっくりした。新品だった。しかも42冊目が刊行されたのは2005年7月、父がホスピスに入院しているときだった。この本は湯の川の自宅ではなく、父がタウン誌の発行と編集の仕事をしていた海岸町の事務所に置いてあったようだ。父はこのほかにも何度も読み返した三島の本を持っていたのに、なぜ母が死んで、自分の癌も進行していたときにこの全集の購入を決めたのだろうか…。
 本を読まない、本にあまりお金をかけたことの無い私には理解できないことだった。しかし、事務所でYさんが「お父さんの青春の証だね。先生は自分が愛し、好きだった本を傍に置いて眺めていたかったのね。昔はお金が無くて、古本屋に何度も通ってお金ができるまで、その本が誰にも買われないように祈っていたそうよ」と教えてくれた。やっと、自分のお金で全集を買い揃えることができて父は満足だったのだろう。最後の一冊が本屋さんから届いたとき、父は手にとって頁をめくる元気があったのだろうか。ホスピスに入院していた頃の事を思い出していた。父がベッドの傍にいた私に「欲しい本はないか」と聞いたことがあった。なんて答えただろうか。思い出せないが、たぶん「私、本読まないし…」とか「家が狭いから、たくさん置けないよ」と言ったと思う。だから、三島由紀夫全集のことは一言も私に言わなかったのかもしれない。
 そう言えば、母も三島由紀夫の本を読んでいた。きれいな包装紙をブックカバーにしていて、なんの本だろうと思いカバーをはずして見た記憶があった。たしか「天人五衰」という題名だったと思う。父と母が読んだ三島由紀夫の作品を私も読んだ方がいいのかもしれない、と全集を眺めながら、そんなことを思っていた。
 法事の後の思いがけない父からの贈りものだった。



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