娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


父のパステル画

 函館に行くと、本町にある喫茶店「伽藍堂」に足を運ぶ。父と母の墓参りの前に寄ったときだった。ママさんに、「絵里子さん、ここに木下先生のパステル画を飾っていたんだけど、今ある人にお貸ししているので今度いらしたときに見て下さいね」と言われた。「どんな絵だろう」と思ったが、札幌での日常の中で忘れるともなく忘れていた。しばらくして行ったとき、父のパステル画が壁に飾られていた。全体に淡いきれいなブルーでヴァイオリンと花が描かれていた。もちろん、初めて見る絵だった。やさしい色合いから、父がこの時期はしあわせだったのだとすぐに思った。私が子どものころの父はノイローゼで苦しみ、いつも暗い顔をして何かに怯えているようだった。
 父が立派な木箱に入ったパステルを買ってきたのは、私が小学校二、三年の頃だったろうか。父は昔画家になりたかったそうだが、画を描く父をみたのはこのときが初めてだった。十二色のクレヨンしか持っていない私にとってその木箱は宝箱のようにみえた。パステルにはこんなに微妙な美しい色があるのだと思い驚いた。きれいな色がたくさんあるのに父が使うパステルはいつも暗い色が多かった。私がまだ幼かったせいか、暗く濁った色の絵は何を描いているのか理解できなかった。しだいに父が書く文章と同じように絵にも全く私は興味を示すことがなくなった。ただ、覚えているのは、パステルは指の腹を使って色をのばしたり、時には脱脂綿のようなもので色を重ねていく。だから、画用紙に定着しきれないパステルの粉が、父は気をつけて新聞紙を広げた上で描いているのだが、ベッドカバーやじゅうたんの上にたくさん落ちる。母がいつも掃除に苦労していた。
 母からの便りで、父は晩年、よく個展を開いていると聞いていた。個展の後、自分の一番好きな画や孫を題材にした画などを札幌の我が家に送ってくれた。記憶にある暗い色と変わっている……と思った。父が生きている間、一度も個展を見にいったことがなかった。
 父が生きているとき、「この画を我が家に飾りたいので送ってほしい」と、とうとう言えなかったパステル画がある。それは二十五年前、結婚式のときに描いてくれた私のウェデイングドレス姿のパステル画だ。父は娘の結婚式にいい写真を撮ろうと思い、新しいカメラを買ったがうまく使いこなせずフイルム一本分を失敗してしまった。嘆く母のために、函館に戻ってから父は、控え室で式を待っている私の姿を描いたのだ。
 「結婚式のときのお前を描いた。札幌にもって行きなさい」と父は言ってくれたのに、私はその画を見るなり「何だか幽霊みたい……今度もって行くわ」と受け取らなかったので、二十五年間それは実家の押入れに眠ったままだった。
 両親が亡くなって実家を処分したあと、この画はタウン誌「街」の編集室にしばらく置かれていたが、あるとき長くスタッフをされているYさんが言った。
 「絵里子さん、これはあなたのそばに置いておきなさい」
 手に取ってゆっくり眺めて見ると、父の優しさを感じる実にいい画だと思った。確かに白いドレスの私と背景のブルーグレーが少し物悲しい色合いで、まだ若かった私には幽霊のように影がうすく見えたのかもしれない。父が生きている間に、どうして「ありがとう」と言えなかったのだろう。あのとき、どうして受け取らなかったのだろう。
 「私は女の子が生まれたとわかったとき、いつか自分の手を離れていくことを覚悟していました。その時まで神さまからの預かりものと思い大切に育ててきました」
 父が、結婚式の席で挨拶した言葉である。
 私のために描いてくれたパステル画は今、銀婚式を迎えた我が家に飾られている。
(タウン誌「街」2010年新春号 No.525)



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