娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


父の文章を見つけた

  一日に一回は自分のパソコンの前に坐り、短くてもいいから文章を書こうと心がけている。しかし、頭に書きたい言葉が浮かんでくる日もあれば、全く言葉が出てこない日もある。どちらかといえば、ほとんど後者である。父は毎晩、必ず机に向かい文章を書いていた。子どもだった私は、毎晩、原稿用紙にスラスラと父が万年筆を走らせていると思っていたが、そんな簡単なものでなかったようだ。
 私がパソコンで作業をするようになって、文章が全く浮かばないときは、思いつくままにインターネットでいろいろなことを調べるようになった。インターネットとは実に便利なもので、だいたいの疑問は解決する。先日、父の名前を入れて検索すると当然、天使の微笑みのホームページがトップに出てきたが、その先も気になり次々と頁を送っていくと、『カムイミンタラ』という雑誌に父の文章が載っていた事がわかった。1990年1月号に「偶感」というタイトルで、還暦を迎えた父が精神と肉体についての想いを書いていた。もちろん初めて読む文章である。その中で父は「死ねばどうなるか判らないが、私の存在は数人の人に記憶されて残るだろう。……しかし、私は言葉だけは信じている。すべては過ぎ去るが、言葉だけは残る。私の言葉は残るかどうか判らないが……」と、書いていた。私は久しぶりに父と話をした気分になった。言葉を大切にしていた父、書くことをやめなかった父。書くことは再び生きることだといつも言っていた父の姿を思い出し、二十年も前に書いた父の文章をパソコンで見つけ、読むことができて嬉しく感じた。
 そういえば、一年前にも同じようなことがあった。それは、たまたま天使の微笑みのホームページのアクセスが、丹波という地名から沢山あったのでふしぎに思っていると、ちょうど丹波市立図書館の読書会で父の作品、『少年の日に』などを課題図書として使っていたことがわかった。そのときは北海道の図書館ではなくて、どうして丹波市なのだろう、と驚いていた。  父は自分ではパソコンを使っていなかったし、インターネットも身近なものでなかったので、自分の文章が紙面ではなく、このようなかたちで今頃、読まれているとは思ってもいないだろう。
 たくさんの人に父の文章を読んで欲しいと思い、夫の協力でホームページをはじめて二年半になる。知らない人がアクセスしてくれることは、今の私の喜びで更新する励みになっている。パソコンを使うようになって、思いがけない事に出会うときもある。今回の『カムイミンタラ』のように私の手元にない雑誌から父の文章をみつけたとき、また知らない人のブログの中で父の文章のことに触れてあったとき、あなたの娘で良かったとつくづく思うのだった。
 今晩もまた、私はサプライズを期待してパソコンの前に坐っている。



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