娘のつぶやき

トップページ

◆『天使の微笑み』

◆『四千字の世界』

◆『トーク・トーク』

◆『犬が欲しい』

◆随筆あれこれ

◆コラムあれこれ

◆木下順一 年譜

◆木下順一の本

◆パステル画

◆思い出のアルバム

◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


図書館での一日

 四月一日、父が書いた「井上光晴さんの死」をホームページにアップしたが、その中で三島由紀夫について詳しくは北方文芸六月号(1992年)を読んで欲しい……という箇所があり気になっていた。北方文芸のバックナンバーは私の手元にはなく、実家にあったものは函館市文学館に寄贈してしまった。普段ならそのままで終わるところだが、最近、知り合いになった真駒内石山堂のNさんが川崎彰彦さん(作家、詩人 2010年2月死去)の掲載された文章を調べるために大変熱心にあちこち足を運んでいる姿を拝見し、私自身刺激をうけたところだった。そんなこともあって、図書館や文学館でバックナンバーを調べておくことも大切だとしらされたので、思い切って、札幌市中央図書館に電話してみた。北方文芸のバックナンバーはそろっており、貸し出しはできないが何冊でも閲覧できると聞いた。Nさんをみならって、私も少し足をつかって父の文章やそれに関連するものを集めることにした。
 図書館に電話した日はホームページをアップした次の日。この日、私の住むマンションは大規模修繕がはじまり、足場を組むため騒音で家の中にいられないほどだった。よし、こんな日は一日図書館で過ごすのがいいだろうと思い、おにぎりとお茶のポットをもって図書館に向った。長い時間を図書館で過ごしたのは大学生の頃だから、もう三十年近く前のことである。早速、閲覧の申請をして、とりあえず1992年の一年間分の北方文芸を見せてもらった。「三島由紀夫の謎」というタイトルで父の文章があったがかなり長いものだったのでコピーをとることにした。他もみてみると、時評など一年の間に半分くらいの月に父の文章が掲載されていた。12月号には「夜の樹」という小説もあった。
 1992年、ちょうど父は二人目の孫ができて、「ぼくもまだまだ頑張らなくてはならない」と言って精力的に仕事をしている頃だったと思う。北方文芸にもたびたび文章を載せていたが、もちろん函館では本業のタウン誌も毎月発行し、同人誌、さらに函館文学学校と新聞社の文章教室の講師もつとめていた。そして、夜家に帰ってくると自分の小説も夜中から書き始めていたのだった。北方文芸のバックナンバーを読みながら、ぼんやりとその当時を思い出していた。なぜ、寝る間も惜しんで書きたかったのか、今はこの私にも少しわかってきたような気がする。これからは父の文章を探しに時々、図書館に足を運ぶことになりそうだ。
 「三島由紀夫の謎」は私自身も気合をいれなければならないくらい、ながい文章である。しかし、ノイローゼで苦しんでいた頃の父を理解するためにも、娘の私がていねいに読んでタイピングしなければならないと感じた。何回かに分けて、ホームページにアップしますので、ぜひ読んでいただきたい。



<次のコラム> <前に戻る>