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娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


師走

 とうとう今年も一ヶ月をきってしまった。十月、十一月は忙しい日々が続き、また娘のつぶやきのアップが遅れてしまった。来年こそはもう少しまめに、文章を書かなければならないと思っている。
十月は父の七回忌の法事で二回函館に足を運んだ。親戚家族だけのごく普通の法事をお寺で執り行ない、その二週間後、父の文学関係の方たちが中心となり、七回忌の集いというものを開いてくださった。函館の五島軒で二十五人程が集まり、懐かしい話や娘として初めて聞く話のおかげで、心が穏やかになる時間を過ごすことができた。昨年の十月は「いさり火文学賞」の受賞式が五島軒で行われ至福の時間を過ごし、今年はまた同じ場所で父の七回忌を、父のことをよく知る人たちと一緒にできたことは本当に嬉しいと思った。来年はどんなことが待っているだろうか。
来年と言えば、私は大きな決断をした。それはタウン誌「街」の50年史製作の編集スタッフに加わることにした。編集の経験のない私がスタッフに加わり、どれだけのことができるか心配だが一年間頑張ってみようと思った。タウン誌「街」は昭和37年に創刊し、来年の2月で50年になる。「函館百点」から「月刊はこだて」そしてタウン誌「街」とタイトルを変え、父は癌で亡くなる半年前までの43年間、510冊を発行してきた。どんなことがあっても休刊することなく、続けてきた父の気持ちと苦労を知るために、50年史のスタッフに加わることに決めた。そのためには創刊号から全てに一応目を通さなくてはならない。いつかそんな日がくるだろうと思っていたが、私の性格を考えると今回のように期限が決まっているほうがいいようだ。父の七回忌の集いで、私は来年納得のいく良い50年史を作ると、皆さんの前で宣言してしまった。一週間程、函館に滞在している間に私はタウン誌「街」の事務所に通い、今後の作業の予定や私が担当する内容などを確認し、とりあえず手元にある過去の冊子に目を通した。
1974年11月号の父のエッセイ「ドナルド・キーンさん」にくぎ付けになった。父の書斎にドナルド・キーン氏からの封書があった記憶はある。どうして何通もあるのか、そして父とどんな関係だったのか気になっていた。ある雑誌の取材のために函館を訪れたドナルド・キーン氏を父が案内したことが始まりだった。そんなことなど全く知らなかった。いや、私が中学生のころだから話を聞いていたかもしれないが、その当時の私はタウン誌の編集発行が大変な仕事で毎月毎月苦労しているのに、ちっとも儲からず、母にばかり負担をかけていると思い、父の仕事に反発を覚えていたのだ。だから、父の話には興味も関心もなかった。ただ毎月タウン誌を出すのではなく、そこには父の強い気持ちや考えがあった。函館の文化の発展を願い、函館の人々がこの街で愛し合い、どんな暮らしをしていったか、ちゃんと遺しておきたかったという事が少し判ってきた。
エッセイ「ドナルド・キーンさん」は近いうちにアップするので、ぜひ読んでいただきたい。
忙しく過ぎた十月もあっと終り、気がつくとタイトルの通り十二月、師走になってしまった。今月、私は50年史のために再び函館に足を運ぶ。少しでもやる気を起こすために、印刷屋さんに頼んで束見本を作ってもらった。創刊号から530号までの目次の整理もできたようだ。一年後の平成24年12月発行を目指して、地道に作業を進めるだけだ。最近、父の夢を見る。毎日、夜遅くまで仕事をしていた父の背中が、何度も私の目の前に出てくるのはなぜだろう。



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