娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


父の七回忌

 十月八日、父の七回忌を家族親戚とごく親しい方だけで執り行った。この日は朝から青空が広がり、日中は少し汗ばむくらいの陽気だった。まさに小春日和だ。朝七時半に夫の運転する車で札幌を出発、定山渓を抜けるまでは多少道も混んでいたが、そのあとは順調に進んでいった。最近、気にいって前回も立ち寄った蕎麦小屋(七飯町仁山)で昼食をとった。今回は五目たぬきそば、これも美味しく汁もほとんど飲んでしまった。ここは隣接する北斗市の広大な畑や水田がすぐ目のまえに広がり、遠くに函館山が見える実に眺めにいい場所に立っている蕎麦屋である。函館に住む友人に教えてもらって地図をたよりにいってみて、すっかり気にいってしまった。蕎麦好きな父が生きていたら、ドライブがてら連れてきてあげたかったと思いながら、店を後にした。
 次男のアパートで休んでから、三人で台町の西別院の出張所に向かった。ここで父の七回忌の法要を行い、すぐ傍の墓に移動してお参りをすませた。墓地から見える津軽海峡は波もなく穏やかで静かに船が置物のように並んでいた。お参りの後、場所を変えて父が好きだった仏蘭西料理の店「北風家」で会食。オーナーの心づかいで、父がよく好んで食べていた牛肉のテールスープが用意されていた。父の「美味い、実に美味い」という声が聞こえてきそうだった。この席には、父の一番下の弟である長万部の叔父とその息子が来てくれた。叔父は二年程前から長万部の家を処分して函館に住んでいた。父の思い出話で、叔父が「子どものころ兄貴に勉強を教えてもらっていたが、何回聞いてもわからないと兄さんに怒られたな」と話し始めた。私はこのときとばかりに、叔父に父のことをまたいろいろと尋ねた。話の途中で何度も繰り返す叔父の「兄さんは優しかった」という言葉に私は癒され、父が今生きている人の心のなかにちゃんと存在していることを感じ嬉しくなった。
 次の日、夫の運転する車で次男と私の三人で当別のトラピスト修道院に出かけた。今は北斗市三ツ石という住所である。函館から国道228号線を松前の方向に車を走らせる。初めてこの海岸線の道路を走った。海沿いから遠くに見える函館山はいつもとは違う表情を見せてくれた。
 トラピスト修道院には、七回忌の法事の後必ず行こうと決めていた。父が好きな場所のひとつで、母と一緒にスケッチのために訪れているのだ。国道から修道院に続く緩やかな坂道、整然と並ぶポプラの木の間から見える修道院の建物。父はこの一本道をきっと気にいっていたと思う。修道院の周りは広大な草原地帯で、ルルドの洞窟には一般の人も行く事ができるというので足を運んでみた。片足の父は、車で入れないルルドの洞窟に続く坂道は登ることができなかっただろう。父にもこの景色を見せてあげたかったと思いながら歩いた。天気に恵まれ、草原の中で至福の時間を過ごすことができた。
 この日、私のもうひとつ行きたかった場所は、函館市内にある父がよく通っていたペシェ・ミニョンというケーキ屋さんである。店の奥でゆっくりお茶も飲め、外のテラスもなかなか絵になる。父はケーキと紅茶で午後の時間を楽しんでいた。甘いものが好きな父が一番好んで食べていたのは紅茶のクリームのエクレアだった。今は残念ながら作っていない。きのこやサーモン、ほうれん草が入ったキッシュも大好きだった。私も大好きなケーキ(和栗のモンブラン)とウバの紅茶を注文してみた。父はどのあたりに坐ったのだろうか、と思いながらティータイムを夫と息子と楽しんだ。この店には父が描いたパステル画が二枚飾られていた。オーナーの気づかいで、額の下に父の名前と画のタイトルも入れてあり、ライトアップしてあった。ここでも父の存在を感じることができて嬉しかった。
 七回忌は形だけの法要ですませるのではなく、父が愛した場所、父が何度も足を運んだ場所に家族で行ってみようと考えていた。そして、私自身も父の気持に少しでも近づけたらと思い、そんな七回忌にしたかったのだ。その意味では十分父の存在を感じ、心に沁みる二日間を送ることができた。
 私にとって十月は父を亡くした悲しい月だったが、いまは父を深く思い出す月、姿がなくても父を感じる月に変っていった。



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