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娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


映画「わが母の記」

 ひとりで映画を観てきた。「わが母の記」というタイトルにひかれ、ずっと観たいと思っていた。夫婦のどちらかが50歳以上だといつでもひとり千円で映画を観ることができるが、この映画は夫と一緒ではなく、ひとりで観たほうが亡くなった母と対話ができていいと思った。ところが私にとってこの映画は主人公の小説家、伊上洪作(役所広司)の姿が父とだぶって、まるで「父の記」を見ているような気がしてしまった。
伊上の娘、琴子が自分や家族のことを題材に小説を書く父に反発する姿を見て、私の父もそうだったと思って見ていた。私の場合、父の書くものに全く興味もなく、ベストセラー作家でもない父だったのでどんなふうに家族が登場していたのか、父が亡くなるまでわからなかった。しかし、父が道新のコラムを書いているとき、私が学生時代に交際していた男性が病死したときのことを文章にして新聞に載せていたときには驚いた。父の書いた小説『文鳥』が中央の雑誌に掲載され話題になったとき、私の祖父が商売に失敗し自殺しようとしたことを題材にしたため、親戚から非難を浴びたことがあった。父の葬儀のときに、ある人から「作家の家族はプライバシーなんてないようなものですね」と言われたことを思い出していた。
 私は母が亡くなってから、母の終わりをきちんと書き留めておかなくてはならないと考えていたが、いまだそれは実行できないでいた。「わが母の記」を観ることで、私の薄らいでいく記憶をよびおこそうと思ったが、父との記憶ばかりがまた甦ってくるのだった。母の終わりは父が受けとめ、死んでいく過程と向き合ったから『天使の微笑み』を書くことができたのだろう。私と母の間にはいつも父の存在があったから、母のことを書けないでいるのかもしれない。
母が亡くなって十年近くが経とうとしている。母の死を長い間の不在と思っているには、ずいぶん時間が経ってしまった。六月二十二日は母の祥月命日である。



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