娘のつぶやき

トップページ

◆『天使の微笑み』

◆『四千字の世界』

◆『トーク・トーク』

◆『犬が欲しい』

◆随筆あれこれ

◆コラムあれこれ

◆木下順一 年譜

◆木下順一の本

◆パステル画

◆思い出のアルバム

◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


函館と九州

 10月18日、函館蔦屋書店でのイベントは終わった。スタッフ全員が揃ったのはイベントの2時間前、みんなそれぞれに仕事を持っているので全員が顔を合わせるのは難しかった。それでも蔦屋書店のイベント担当Tさんがいろいろ協力してくださったので無事終了。2階のオープンスペースを通りかかった人が話を聞いてくれたのは、蔦屋書店のふしぎな空間のおかげかもしれない。10年前の父のテレビ映像を流し、父の姿、声がとても懐かしかったと言って喜んでもらえた。
 私は50年誌の中から、父のエッセイ「骨の詩」を朗読し、父がなぜ43年間一度も休むことなくタウン誌の編集発行を続けてきたのかをお話したが、もっと違うきりくちで話を進めたほうが良かったと思い、反省する事ばかりの内容だった。文章を書くことも、人前で話すこともどちらも、伝えることの難しさをまた思い知らされた時間だった。
 会場にはタウン誌「街」のバックナンバーの件でやりとりしたお顔を存じ上げない遺愛高校の大先輩のお嬢さんがイベントに来て下さった。思いがけないことだったのでとても嬉しかった。私が高校2年のときの副担だった古典のK先生はまだいらっしゃるらしいので、今度函館に行ったときには遺愛を訪ねてみようと思う。教育実習で大学3年のときに足を運んで以来一度も顔を出していないのだ。友人たちは毎朝の礼拝のことや、英語の授業のことを思い出すらしいが、私は真っ白い割烹着で毎日教室の掃除をやったことを一番はじめに思いだすのはなぜだろう。遺愛の三大精神「信仰 犠牲 奉仕」の文字が私の頭に過ぎった。
 蔦屋書店でのイベントを終え、その日私は最終の列車で札幌に帰った。いつもならもう一泊するところだが、10月20日から九州旅行することが夏から決まっていた。この旅行は夫の還暦祝いで息子二人からのプレゼントだった。私は還暦までまだ5年あるが息子曰く、私の前倒しの祝いもはいっているらしい。夫婦揃って初めての九州旅行。私は飛行機に乗るのは17年振りのことで朝から緊張していた。前日、長男から「今は経費節減で新聞は置いてないから…」とメールがあった。17年前、家族旅行で東京ディズ二―ランドに行ったとき、長男は小学校6年、次男は小学校1年だった。その息子が仕事で毎月飛行機を利用し、まるでバスや地下鉄に乗るように移動している。息子からいろいろ注意をうけ、自分が歳をとったなと感じると同時に心配されることがとても嬉しかった。
 九州は福岡と佐賀、そして長崎の5泊6日の旅。九州での6日間どのように過ごすかだいたい決まっていた。九州国立博物館、美術館、吉野ケ里遺跡、軍艦島クルーズは絶対はずせない内容だった。ところが急遽、旅行の前日に決まったことは福岡で日ハムの試合を観ることだった。10月19日、クライマックスシリーズで日ハムは勝ってしまったのだ。まさか私たちの旅行初日にヤフオクドームで試合があるとは思っていなかった。早速、19日に札幌のコンビニで試合のチケットを購入。しかし日ハムの応援席は完売。それでもせっかく福岡にいるのだからやっぱり応援にいきたいと思いソフトバンク側の連番で空いている席をゲットした。夫は小谷野選手のTシャツ、私は稲葉選手のTシャツを着てヤフオクドームにいくと当然周りは全て真っ赤なソフトバンクのシャツだった。上に羽織っていたシャツを脱ぐことできず、最後まで席にいた。日ハムは負けてしまったが、最後にソフトバンクの選手が引退する稲葉選手の胴上げをしたとき私は思い切って上に羽織っていたシャツを脱いだ。後ろから私の41番のTシャツを見てソフトバンクファンの人が携帯やカメラで写真を撮っているのを背中に感じた。そして「気にしないで日ハムのときは応援しくれればよかったのに…」と言って拍手してくれた。「遠くから福岡までごくろうさま」と声をかけられ、温かく見送られ一足先にヤフオクドームを後にした。帰り中州の屋台で本場のとんこつラーメンを食べ、九州旅行は思いがけない野球観戦から始まったのだ。



<次のコラム> <前に戻る>