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いさり火文学賞

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父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


第13回 いさり火文学賞受賞作


 エッセイ 「父」 父と私 2

 父は私によく手紙を書いて送ってくれた。そのときはちっとも父のひとつひとつの言葉や文章を大切に思っていなかったが、父に死なれてわかったことがたくさんあった。父はとても優しく強い人だった。父はどんな苦しみも悲しみもちゃんと、自分の力で乗り越えてきた人だった。父の晩年の最大の悲しみだった母の死も、父はひとりで母と暮らした湯の川のマンションで、文章を書くことで乗り越えてきたのだと思う。だから、娘にも悲しみから立ち直る方法を、文章を書くことを通して教えてくれたのかもしれない。
 私が毎夜、家の用事を済ませた後、父のことを書くためにパソコンの前に向かっていることで、姿はなくなっても父と母の存在は優しかったおじいちゃん、おばあちゃんとしていつまでも息子たちの記憶に残るはずだと思っている。そして、書くことはもう一度、私にとって自分自身と向き合う大切な時間となった。
 父が亡くなって二年後、私は長万部に住む叔父のところを訪ねた。
 父は三人兄弟の長男で長万部の克也叔父さんはいちばん下の弟だった。私が子どものころはよく祖父母に連れられて遊びに行っていた。叔父の家は温泉街にあるが、通りを歩いていると懐かしい旅館の看板が目に入り、昔とちっとも変わっていなかった。三十年ぶりである。
 三十年前の記憶は断片的で、父と行ったのか、母とだったのかさえ覚えていないのだ。叔父の店でカラオケを歌った写真が一枚だけ残っていた。渡辺真知子の「かもめが飛んだ日」を初めて人前で歌ったことだけは思い出した。
 十年くらい前まで叔父は叔母と二人で温泉街に飲み屋を出していた。叔母が亡くなったあとも時々店を開けているようだが、叔母がいたときのような活気はなかった。私が訪ねたときは、一階のシャッターが下りたままで、店の脇の細い階段を上って自宅に行くと、二階は昔遊びに行った時とほとんど同じ家具の配置だった。ひとつだけ違っていたのは居間の真ん中に大きな仏壇があり、そこには叔母が好きだったカサブランカがコバルトブルーの派手な花瓶に生けてあった。私は仏壇の前の朱色の座布団の上に坐り、叔母の遺影を眺めながら手を合わせた。
 叔母は六十歳くらいで亡くなった。肝臓癌だった。父と母はあまりにも早かった叔母の死に心を痛めながら、二人揃って長万部に葬儀のために出かけた。下の息子がまだ小さかったので、両親に香典をあずけ葬儀に参列しなかった私に、そのときの様子を母が電話でいろいろ教えてくれた。
 叔父が叔母の亡骸にすがって声を出して泣いた話を、私は仏壇の前で思い出していた。母は電話で、「男の人を残して死ねないわね。今日つくづくそう思ったわ。私はお父さんを見送ってから死なないと……」と言っていたのに、叔母が亡くなって二年後、母は父を残して膀胱癌で亡くなった。「片足の父を残して死ねない」といつも言っていたのに、母の願いは叶わなかった。

 叔父がお茶を入れながら、私に話しかけてきた。
「絵里子、仏壇の横の絵、覚えているか……。兄さんが描いた絵だよ」
「知らない、初めて見るわ。なんだかお父さんらしくない絵だわ。」
「そうか、ここの二階を改築したとき兄さんが贈ってくれて。函館らしい絵がいいって、俺が頼んだから」
 叔父は父が描いた絵を大切にしていた。絵はかなり古いもので、ハリスト聖教会をスケッチした函館の代表的な景色だった。まじめで面白味のない、晩年の父が描いていた絵とはまったく違うものだった。
 父は昔、画家になりたかったと聞いたことがある。しかし、絵を勉強し、描くためにはお金がかかるため諦めたそうだ。父は私が小学校に上がったころ、パステルを買ってきて趣味で再び絵を描くようになった。大きな木箱に入ったパステルには六十色もの色があり、当時十二色のクレヨンしか持っていなかった私にとって、それは夢の木箱だった。美しくきれいな色がたくさんあるのに、父はいつも暗く濁った色ばかり使い、よくわからない絵を描いていた。
 そんな父の絵は私が大学生になって函館を離れ、札幌で暮らすようになった頃から、パステルの色づかいが変わってきた。ちょうど叔父の家に贈ったような函館の風景画や羽を大きくひろげた孔雀をよく描いていた。浅黄色、瑠璃色、翠色などのパステルを好んで使うようになり、私はこの色が微妙に重なりあう優しく、気高い孔雀の絵が好きだった。
 (つづく)




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