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娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


函館FMいるかの放送テープから

 私の毎日の仕事の中にホームページに載せる文章を父が遺した作品の中から捜し、タイピングする作業と、父と母に対する気持を「娘のつぶやき」の中に定期的に書いていく作業がある。父の文章から私が知らなかった母の姿も見ることができ、この作業はなんともふしぎな時間である。遺された作品は紙物だけではなく、講演のビデオだったり父がよくゲストとして呼んでいただいた函館FMいるかの放送テープだったりといろいろな物があった。なにげなく聴いた一本のカセットテープ、それは2001年11月函館FMいるかの「アルバムを開いたら」という山形敦子さんの番組のテープだった。父の声だ。父が話している。今、私の傍にいる錯覚を覚えた。話しながら、時々けらけらと笑う父……。あー、うちの息子たちと話す時もこんな話し方をしていたなって思い懐かしく聴いていた。今年、函館は開港150周年の記念行事が7月1日にあるときいた。父がもし生きていたら、どんな文章を書いただろう。そんなことを思いながら「函館 街並み今・昔」を本棚から出して見た。「アルバムを開いたら」のテープはちょうどこの本の話だったので、ぜひ紹介したいと思いテープおこしをしてみた。函館開港150年の歴史に触れるとき、この父の本も一緒にまた開いていただけると嬉しい。この放送の中で、物事はすぐに結論を出すべきでない、と言った父の言葉が印象的で私自身が注意をうけた気持になった。一部省略されている部分などがありますが放送の内容を載せてみました。

函館FMいるか
2001年12月17日放送
「アルバムを開いたら」総集編から(2001年度分)
ゲスト 木下順一   聞き手 山形敦子 

山形:作家の木下順一さんです。
   今年、八月出版されました「函館 街並み今・昔」。木下さんの文章そして
   大正から昭和にかけてと最新の写真で綴られた本ですが、
   この本を実際にめくりながら、あれこれとお話をお伺いします。
木下:写真は、僕は記録だと思っているんだ。
   その記録を一番代表するものが着ている物。
   風俗を代表するものね、表情なんだ。
   表情で全然時代が違うね。
   物がないとき、ちょっと物が手に入ったときの嬉しい顔とね。
   今、いっぱい物があるから物を見ても「うるさい」という顔して、全然違う。
   そういうところね。
山形:そうですね。
   そうすると、同じ時間を経ていても同じ視覚で写真を撮っていても、
   豊かさが逆の面で何が豊かなのか、ということが見えてきますね。
木下:見えてきますよ。
   それから二つですね、古い写真と今の写真と二つ見るわけですよ。
   そして僕の文章を入れて三つ見ることになるわけですよ。
   この三つがどういうふうに、うまくかみ合っているかということを文章でしか
   表現できないんだわ。
   だって、写真は物を言わないし、提供してくれる。
   新しい写真も物を言わないし。
   それがただ、僕が見て物を言わせる。その物を言わせるのが文章です。
   その文章をどういうふうに書くか、ということ。
   僕がこれを書こうとして一番苦しい思いをしたね。
山形:その結果、こう苦しみながら二つの写真を対比させながら、
   見えてきたものとは?
木下:それが、要するに僕がこの街に写真を通して理解した時代性あるいは
   ドラマというだろうね。
   だから、これを読んだ人はいろいろ手紙や電話をくれましたが、
   ひじょうにドラマチックで、自分も参加しているような喜びを与えられたと
   いう人が多かったね。
山形:今回執筆を終えられて、しかも「あの写真、私じゃない?」なんていうものも
   含めて、たくさんの反響があったわけですが函館に対する想いとか見方とか
   そういうものは若干変わったのですか?
木下:やー変わったよ。僕は函館っていうのは、あまり好きでないと
   思っていたけれど、やっぱりそんな事、言っていられなくなったよ。(笑)
   なぜ、言っていられなくなったかというと、函館の方が「俺を好きだ」と
   言ってるんだよ。僕が函館を好きだって言うよりも、函館が僕を好きだって
   言うんだ(笑)
山形:誰がそんなことをおっしゃるのですか?
木下:函館だよ……。
山形:じゃ、両想いになって良かったですね。
木下:そう、そうだね。
   やっぱり、街を認識するということは交換条件なのね。街と自分の心との。
山形:そうですね、街を「きらい、きらい」と言っていたら、いつまでも街は自分を
   包んでくれないかもしれませんね。
木下:これをやって初めてわかったね。
   やっぱり、物事はすぐに結論を出すべきものではない、と思った。
山形:嫌われていると思ったから、「きらい」って言ってはいけないですね。
木下:そう、そうだね。
山形:今回はさかのぼって大正の写真から現在に到るまで、その移り変わりを
   文章と三位一体で見せてもらったのですが、もし今度続編を書くとしたら
   書いてみたい場所とかありますか?
木下:あるね……。
   僕は函館が一番はじめに栄えた弁天を書きたいね。それから谷地頭。
   他の街もいろいろあるけれど、弁天と谷地頭はとても変わっていると
   思うから。
   たとえば、アワビは弁天で獲れるアワビと谷地頭で獲れるアワビは
   味が違うって、死んだ清次郎の親父が言っていたね。
   そのくらい、あそこは距離にしたらたいした
   ことないが、外海と内海の違いで獲れるアワビの味が違う。
   ウニの味もだよ。
山形:陸で行くとたいしたことのない距離だけれども、ぐるっと回る……。
木下:それと同じように人間の味も違うと思ってね。
   今回、僕が書いた本ではその部分は触れていないけれど、
   とても興味があるよ。

山形:今月は「アルバムを開いたら」の総集編で11人の方のお話をご紹介しまし
   た。その最終回が先月(2001年11月)のゲスト「函館 街並み今・昔」の
   執筆者、作家の木下順一さんのお話でした。
   この本は北海道新聞社から発行されております。函館の街並と今、昔、
   その中で人々がどう変わっていったか、どんな想いをこの街に込めている
   のかということがとてもよくわかる本です。
(2001年12月17日放送分から抜粋したものです)


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