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娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


函館の一日

 久しぶりに函館に行った。いつもなら三月のお彼岸に墓参りをしていたが、今年は次男が大学受験だったため、ちょうど入学の手続きや長男の転勤などで忙しくしていた。やっと一段落したので墓参りに行くことにしたが、今回の目的は墓参りだけではない。函館にあるFMいるかの番組「暮らしつづれおり」の中の人ネットワークにゲスト出演することと、新聞社の取材を受けるという用事があった。生前、父もよくFMいるかの山形敦子さんの番組に出ていたようで、遺品のなかに過去に出演した番組のカセットテープがたくさん残っていた。父のお蔭で私も二回ほど番組に出させていただいたが、いつも札幌と函館との電話出演だった。今回は初めて函館のスタジオにお邪魔した。父もこのスタジオで話しをし、この椅子に坐ったのだろうか…と思うと不思議な気持になった。山形さんの前で真剣に熱く語ったのだろう。父は70歳過ぎても、少年のように「僕はね…」と目をキラキラさせて話をするのだ。父を知っている函館の人は懐かしく思ってくれるかもしれない、と思いカセットテープを持参していった。ほんのさわりの部分だが、2001年11月放送の父の声を流していただいた。放送が終わったあと、「お父さんの声、懐かしくて好かった」というメールが何本も私の携帯に入った。これだけでも十分だと満足した。
 スタジオを後にしてふと、父はこの階段を下り、義足の足で大丈夫だっただろうか、その後二階の喫茶店でお茶を飲んだのだろうか、などいろいろ思い起こし私も喫茶店に足を運んだ。緊張していたせいか、喉がカラカラだった。リンゴジュースを一気に飲みほし、やっと落ち着いた。そこでタウン誌「街」のIさんとKさんが待っていてくれた。「放送、よかったよ。落ち着いて話していたね」と、運転しながら車の中で聴いていてくれた。Kさんがこの後、取材が二本あると言い、とりあえず先に昼食をとることにした。
 父と母が好きだった五稜郭近くの鰻屋さんにいった。私はここのご主人のNさんにも今回会いたいと思っていた。Nさんは父の文学学校の生徒さんで仕事の合間に小説を書いており、道新文学賞も受賞されている。最近書かれた長編小説がとてもおもしろくて、普段本を読まない私が一気に読んでしまった。お忙しい方だがいつか父のことや小説のことを話したいといつも思っていた。短い時間だが言葉を交わすことができた。Nさんが焼いた美味しい鰻をいただき、取材の時間までゆっくりさせてもらった。
 取材は午後2時から札幌行きの列車が発車するぎりぎりの時間まで三時間以上続いた。二つの新聞社からの取材はどちらも20代の若い女性記者だった。最後に「木下先生が生きておられる時にお会いしたかった」と言ってくれた。父が生きていたら、彼女たちを娘、いや孫のように可愛がり、きっと「おい、昼飯食べに行くぞ」と誘ったにちがいない。
 父が愛した街、函館の人にもう一度、父の文章に触れてもらいたいという想いはこの二人の女性記者のお蔭で十分伝わるだろう。



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