娘のつぶやき

トップページ

◆『天使の微笑み』

◆『四千字の世界』

◆『トーク・トーク』

◆『犬が欲しい』

◆随筆あれこれ

◆コラムあれこれ

◆木下順一 年譜

◆木下順一の本

◆パステル画

◆思い出のアルバム

◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


新型インフルエンザ

 若者がかかると思っていた。「五十歳なら、大丈夫」、何の根拠もないがまさか自分が新型インフルエンザで寝込むとは思ってもいなかった。最初に大学生の次男が罹り、看病していた私が四日後に喉の痛みから始まり、寒気、倦怠感、ついに39度を超える高熱になってしまった。今まで、二人の息子が季節性のインフルエンザに罹って看病していても、うつったことがなかったのに、今回はやはり感染力がかなり強かったようだ。
 熱が高くてうなっているときは別だが、少し熱が下がりはじめると布団の中でいろいろなことが頭にめぐってくるのだった。夢もたくさん見たような気がする。覚えていたはずなのに布団の上に起き上がってあれこれしているうちに、もうその夢は覚めている。もう少しそのつづきが見たかったのに……。でも子どもの頃、函館で暮らしていたときの話ばかりだったように思う。懐かしい人の顔が目を閉じると次々浮かんできた。最初に浮かんだのは亡くなった母の顔だ。まだ中学校の教師としてバリバリ働いていた頃だから、四十五、六歳のときの母の姿なのだ。最近、いつも母に会いたい、もう一度ゆっくり話をしたいと思っていたからだろうか。
私は子どもの頃、あまり身体は丈夫なほうではなかった。風邪もよくひいて熱を出す子どもだった。熱があるときは祖母が土鍋で米粥とかじ味噌を作ってくれた。かじ味噌とは味噌と卵の黄身とかつおぶし、みりんで練って作ったものでお粥によく合うのだ。祖母が作ってくれたかじ味噌の味は忘れることができない。昔は今のようにスポーツドリンクなどないので、番茶の湯冷ましをたくさん飲まされたが子どもはあまり好きではない。そうすると水分を取らせるために母がりんごを擂ってスプーンで食べるように用意してくれた。それと白桃の缶詰を仕事の帰りに必ず買ってきてくれた。ふだん、白桃缶は高いので病気のときだけ食べることが出来た。そんな、他愛ない昔のことを思い出しながら、微熱のある私はまたうとうとと眠りについてしまうのだった。
 生活に追われ、普段忙しくしているとゆっくり布団の中で夢を見る暇もない。「早く寝なきゃ、もう遅くなる」といってバタバタと床に就いているようでは、懐かしい人の顔も頭に浮かんでこない。新型インフルエンザで今回、寝込んだのでこんな昔のことを思い出し、夢のなかで母とも話ができたのかもしれない。私が寝込んでいる間に仏壇の花がすっかり、枯れていた。さあ、明日は母の好きだった花でも買ってこよう。



<次のコラム> <前に戻る>