娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


『母子寮前』(小谷野敦著)を読む

 何人かの友人からメールをもらった。最近、ホームページのアップがないが何かあったのか……という内容だった。3月、4月は仕事が忙しかったが、昨年、念願の賞を頂き少し気が緩んでしまったのが一番の理由かもしれない。父のようにどんなことがあっても、毎晩必ず机に向かい文章を書くということは強い信念がなければ出来ないということをあらためて知らされた。 私にはまだ書きたいものがたくさんあるし、そのための勉強もしなくてはならない。父の残した文章の整理をし、読んでおかなければならないものもある。もともと「母」のことを書きたいと思っていたが、母の死は私には全く予想に反するもので、なんの覚悟もできていなかったため、ショックは大きかった。「母」のことを文章にするためには、「父」への気持ちをきちんと整理する必要があった。
 「いさり火文学賞」の受賞式のあと、審査員の先生たちとの会食の席で、ある先生が私の作品について講評してくださったときに、「今回のエッセイはまさに私小説ですね……」とおっしゃっていた。私は過去2回「いさり火文学賞」に応募しているが、最初は自分史、2回目は私小説、そして受賞した今回はエッセイだった。昨年の作品より今回の方が私小説だと言われたが、自分自身あまりわかっていなかった。北海道新聞の本のコーナー(2011年2月20日)で、『母子寮前』を書いた小谷野敦さんが「手記と私小説には明快な区別がない。内容はほぼ事実です」と語っていたので、さっそく本を買って読んでみた。読み終えて、受賞式での審査員の先生の言葉に納得したのだった。
 『母子寮前』を読んで、肺がんで母親を亡くした筆者の気持ちは私には十分伝わり、私自身、膀胱がんだった母のことを思い出し再び悲しみが込み上げてきた。母の死からずっと思っていたことがあり、そのことは誰にも言えないでいた。ところが小谷野さんも私と同じことを考えていたと知った時、八年間かかえていた私の思いは少しだけ軽くなったのだ。
 『母子寮前』を読み終え、私はむしょうに母のことを文字にしたいと思った。手記と私小説、エッセイと私小説には明快な区別はないとすれば、書きたい材料は山ほどある。エッセイ「父」を書いたときのように、母のことが少しずつ頭の中に甦ってきた。母の姿、母と交わした言葉を思い出したくて、私はまた家族が寝静まった夜、パソコンに文章を打っていく。
手術前の母を見舞いにいった私を病院の4階のエレベーターの前まで見送りにきて、何度も手をふっていた母の姿を思い出し目頭が熱くなった。



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