×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

娘のつぶやき

トップページ

◆『天使の微笑み』

◆『四千字の世界』

◆『トーク・トーク』

◆『犬が欲しい』

◆随筆あれこれ

◆コラムあれこれ

◆木下順一 年譜

◆木下順一の本

◆パステル画

◆思い出のアルバム

◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


スズメバチと墓

 十月第一週目の日曜日、私は叔母の十三回忌で函館にいってきた。この日私は函館へ、夫は釧路行の列車に乗っていた。夫は別海のフルマラソンに参加するためだった。夫のいない二日間、家でのんびりするつもりだったが法事の知らせをうけ、もう木下の関係は私ぐらいしかいないし、父の弟である叔父にもあと何回会えるかわからないと思い、函館に行くことに決めた。ひとつ気になっていることもあったので、この時期の函館行は都合が良かった。
 気になっていたこととは九月はじめの話だ。夫の運転で函館に行き、お彼岸には少し早かったが墓参りに行ったときのことだ。いつも私ひとりで列車やバスで函館に行っていたが、今回は車なので墓の掃除や草取りもしようと思いバケツやゴム手袋などを用意して出かけた。天気予報では雨だったが、その日の函館は予想より気温が上がり快晴だった。いつも墓参りはお天気に恵まれるんだよね、と夫に話しながら社務所で水をくみ、掃除道具と花を持って墓の前に立った。たぶんお彼岸の一週間くらい前に墓地の草刈りが入るのだろう。この日はまだ草がのび放題だった。水まきをしていた夫が墓石の下で草取りをしていた私のところに突然落ちてきた。落ちてきたという表現はおかしいかもしれないが、何がおきたのか一瞬私もわからなかった。スズメバチの大群が私たちに襲ってきた。夫が水まきの柄杓を持ち、私はゴム手袋をはめた右手に雑草を握ったまま遠くまで走った。初めての経験だった。おそるおそる墓の裏側にまわってよそのお宅の墓から様子を見ると、墓石の土台の端に大量のスズメバチが小さな穴から出入りしていた。きれいに掃除をしてゆっくり墓参りするつもりだったが、諦めるしかなかった。社務所に行き住職の方に伝えようと思い、玄関の前の張り紙を見て驚いた。「海側の墓にスズメバチの巣が見つかりました。駆除しましたがまだ巣はいくつかあるようなので気をつけてください」と書いてあった。ベルを鳴らすと応対してくれたのは、父が生きているときに湯の川のマンションに母の命日にお参りにきてくれていた御坊さんだった。彼は私と二、三回しか会ったことがなかったのに、私が口を開く前に「木下順一さんのお嬢さんですね」と言ってきた。私は父のことを、亡くなって八年もたっているのに覚えていてくれたことがとても嬉しかった。挨拶したあと、私は墓でのスズメバチのことを詳しく話した。今年の函館は暑くて異常気象だったのでスズメバチの巣が大量に見つかり、墓地の管理の方も苦労しているようだった。うちの墓に巣があるかどうかはわからないが、早速調べてくれるということでお願いして、お参りもせずに帰ることにした。遠くから父と母に手を合わせ、父の祥月命日にひとりで来ようと思い台町の墓地をあとにした。
 一か月前、そんなことがあったので叔母の法事でお寺に行く前に私はスズメバチのことを確かめようと思い墓に向った。社務所で水をくむ前に玄関を見ると、前回と同じ張り紙がまだ貼ってあった。私はドキドキしながら墓のほうに歩いていったが、やっぱり心配で一本通路を隔てた裏側にまわり、墓石の土台を確認した。お彼岸前に業者の人が入ったので草取りがされ、きれいになっていた。スズメバチらしき物体も確認できない、大丈夫だと思い墓の前まで歩いて行ったが心臓の鼓動がいつもより早くうっていた。夫と一緒に逃げた光景が目の前に広がるのだった。用心深く静かに墓石に水をまき、ピンクの小菊を供えた。
 墓石は今から110年程前に和歌山から船で運んできた琵琶湖の自然石である。水をかけると生き返ったように石が緑色になる。この墓を建立したのは初代木下清次郎で私の祖父、健太郎のおじいさんである。この初代清次郎さんは大正2年7月30日に亡くなっており、今年百回忌だった。この方の戒名のなかに順乗という文字があり、たいへん立派な方だったので順という字をいただき、私の父の名前を順一とつけたと、昔、祖母が私に教えてくれたことがあった。だから会ったこともない初代清次郎さんは私の頭の片隅にいつもあった。信心深いわけでもない私が従弟や親戚との話の成り行きから七月に写真でしか見たことのない初代清次郎さんの法事をとりおこなったことも実にふしぎな話だが、これも今年、父が長年やってきたタウン誌の集大成と思って作った「わが街 はこだてタウン誌50年」を発行したことから始まったことだった。父は木下家の直系だったので我が家には先祖のいろんなものが残っていた。父は生きているあいだに仏壇をお炊き上げし、整理したものも多かったがなぜか私の手元に初代清次郎さんの写真が残った。商売をしていたので一族と番頭さんたちと写真館で撮った男たちだけの写真で、そこにはまだ五、六歳の私の祖父健太郎が清次郎さんの横に立って一緒に写っていた。きっと跡取りである孫をとてもかわいがっていたのだろう。もちろんこの後に私の父、木下順一と私へとつながっていくことはもちろんわからないが血族というものを感じながら写真を眺めた。今から百年くらい前の写真を私が持っていることが不思議で、このあとどうしたらいいのか悩んでしまう。
 話はいろいろ飛んでしまったが、スズメバチの駆除は無事すんだが、110年もたつ古い墓なので隙間ができているのでこれを修繕することで話は落ちついた。父はひとり娘の私に長い歴史のある木下家の煩わしいことに私を巻き込みたくないと思い、好きな人ができたら「嫁にいきなさい」と言った。木下の直系は途絶えてもいいと言ったが、父と母が眠る墓をほうっておくことはできない。函館の墓は私にとって一番落ち着く、大好きな景色が広がる大切な場所なのだ。スズメバチ騒動と50年誌の完成、そして清次郎さんの百回忌といろいろなことがあったが今年もあと二か月ちょっとになってしまった。私はまたやりたいことを見つけたところだ。




<次のコラム> <前に戻る>