娘のつぶやき

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◇娘のつぶやき


父との写真

昭和59年5月
父と鎌倉にて


腰痛

 元旦にぎっくり腰になった。正月の用意が全て出来上がってからで、よかったとは思ったが一年の始まりになるとは情けない話だった。おせち料理があるのでとりあえず四、五日は食べることには困らないだろう。夫がインターネットで対処法を調べてくれた。氷ですぐアイシングするといいと書いてあったので、痛みがおさまるまで冷やしてみた。一昨年、火傷したときのことを思い出した。感覚がなくなるまで冷やした。夕方には少し楽になり、起き上がることができた。
 私がぎっくり腰になったのは今回で七、八回目くらいだろうか。初めてなったのが団地の日曜清掃で草刈りをしていた28歳のときだった。私のなかでぎっくり腰はお年寄りがなるものと思っていたが、それは認識不足だった。正式名は突発性腰痛、腰に負担がかかる動作をおこなったときに発生し、脊椎を支えている腹筋と背筋の筋力バランス、疲労の蓄積が原因らしい。たしかに初めてぎっくり腰になったときは慣れない草刈りを3時間も続けたあとだった。農家出身のおじいさんが私のカマの使い方を見兼ね、ていねいに教えてくれた。そのおじいさんが傍にいたために、私は休憩もとらず延々3時間同じ姿勢で草刈りをした。普段身体を鍛えていない私の腰はその夜悲鳴をあげてしまった。
 その後、腰痛になることもなく30代が過ぎ、40代になってまた何度かこの痛みを繰り返すようになった。ところが元旦にぎっくり腰になり、すっきりはしなかったが一応治ったので仕事を続けていたが、二月になってまた腰が痛みはじめた。2月15日、私はとうとう布団から起き上がることができなくなった。トイレにも這って行かなくてはならない。仕方ないので病院に行くことにした。レントゲンを撮るのに身体を動かすこともできず、80代の老人になった気分だった。ポールにつかまり、看護師さんに支えてもらい、自分が急に歳を取った感じがした。MRIを撮った結果、ヘルニアにはなっていなかったが脊椎がつぶれ、膿疱もできていた。医者の話を聴きながら、自分はもう若くないような気持ちになり、これからは身体のことをもう少し考えようと反省したのだった。昨年は胃に潰瘍ができ、そのあとピロリ菌の治療に半年もかかってしまった。ホッとしたら今度は腰痛だ。
 昨年夏にタウン誌の50年誌を発行するために、二年間、札幌と函館を往復する生活が続いていた。本が完成した途端に脱力感とともに身体の変調があちこちにでてきたのだった。亡くなった父と母が自分の身体に向き合って元気な50代を過ごせ、と忠告してくれたのだと思うことにした。
 現在、私は腰痛の治療のためにリハビリに通っている。担当の理学療法士の先生は息子のように若く、ていねいに指導してくれる。私の想像以上にない腹筋に彼は驚いていた。私自身もあらためて全く筋肉のない自分の身体に悲しくなってしまった。「お腹に全く力がありませんが、最近内臓の手術とかしていますか?」と訊かれ、「はい、子宮筋腫の手術を……」と答えてしまった。もう九年も前の話なのに、つい最近のことのように言ってしまった。とりあえず腹筋をつけることから私の治療は地味にはじまったのだ。昔から身体を動かすことが嫌いで何もしなかったツケが今頃出たのだろう。ひとりでは継続できない私だが、誰かがみていてくれると頑張れる。何よりもこの腰の痛みを取らなければ何もできないし、楽しくないのだ。



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